時の流れを想う今日この頃・・・
恩師に感謝の気持ちを込めて・・・
1995年(平成7年)、米国のポーテック・ⅠN社の防滑溶剤を我国に初めて紹介、導入した旧ハイパーテックジャパンの村山氏が病気悪化の為、引退されました。・・・もし彼が居なかったら・・・もちろん私も防滑の世界に足を踏み込む事は無かったでしょうし、業界自体が存在しなかったかも知れないのです。
私との出会いは、以前にブログでも紹介しましたが広島での展示会でした。腕まくりをし、熱心にプレゼンされていましたね。私はたまたま当時世話になっていた友人の葉狩君に誘われて展示会に出向いたのですが、・・・村山さんがプレゼンに使っていた1枚のタイルに心を奪われてしまったんです。
あれから15年、私は数多くのトラブルを糧に床材毎に適正な防滑溶剤の開発と、汎用化に努めて来ました。彼はそんな私をいつも見守ってくれていた様に思います。大阪に出張して来た折には、私の事務所を訪れてくれましたし、幾つもの新しい溶剤を彼に披露すると〃内藤さん、これは凄いよ〃と喜んでくれました。
彼は相変わらずノンスリップマスター溶剤の輸入元で、平成11年に脱会分離した私とは本来ライバル関係にあったのですが、・・・〃垣根を越えた不思議な友情と師弟関係〃がそこにはあったのです。
数年前にノンスリップマスター溶剤の受け入れ先であったメンテックカンザイが突然契約解除し、大阪の某社に製造委託した事で村山氏の活躍の場は無くなってしまった。その後彼は病魔に侵され・・・引退を決意って事になったようです。
先月、突然に静岡の倉庫会社から連絡が入りました。・・〃村山さんが病気の為会社を閉鎖される事になりまして、弊社で預かっている200ケース程の溶剤と洗剤なんですが御社に買い取って貰えないだろうか〃・・
この電話、実は弊社にとって決して有難い話ではありませんが、複雑な事情も重なって倉庫会社も困っているとの事。・・・村山氏との連絡もとれないまま、輸送料金のみで買い取る事にしました。・・・幸いにも関係業者が大半を引き取ってくれましたので産業廃棄処分をする事もなく、何処かで其れなりに役立ってくれれば良しと思っています。
時代の流れは早いものです。バリアフリー・ユニバーサルデザイン・コンプライアンス等の波及を受け、安全安心に関わる防滑の業界も年々重要視されるようになってきました。・・・防滑業界のルーツなんぞ知る者も稀少となった今日故に、あえて書かずにはおれない気持ちになりました。
村山さんご苦労様でした。滑り止め溶剤を日本に導入してくれて有難う。そしてあなたは永遠に私の師匠です。