防滑のプロへの道。そして、常に顧客のニーズは複合的なのだった
プロフェッショナルとアマチュア
今日、一般的に何かを極めた人をプロ(プロフェッショナル)と呼び、その過程にある人をアマ(アマチュア)と言います。
プロ・アマの定義は19世紀頃から次々に誕生してきた近代的なスポーツにより生じる。多くの近代的スポーツには少なからず経済的な問題が発生します。従って近代的スポーツは、経済的な問題をクリアできた階級だけが参加でき、(アマチュア)は裕福な者に限定されるようになったのです。
19世紀末になるとアメリカ合衆国やイギリスでは、労働者階級でスポーツをする為に問題になっていた経済的な問題を『補償』という形でクリアする仕組みが生み出されます。
これがプロフェッショナルの誕生の先駆けとなるんですね。プロフェッショナル誕生以降、スポーツ界はプロパカンダ(多様な宣伝行為)の問題、そしてプロパカンダのための専業戦士育成(ステートアマ)へと急速に変化して行く事になります。
・・・そして現在に至っては、スポーツの世界以外でも、アマ・プロの言葉が常用されるゆになっています。文頭に記した何かを専門的に極めた人をプロ、その過程にある人をアマと言う形で引用するようになったんですね。
父親のはなし
父親が料理人であった私は、今もオヤジの影響を受け続けているように思います。手前味噌ですがオヤジはプロの料理人でありました。
私は、私の記憶に今尚残るオヤジの思考・技術・行動をオヤジと違う世界で追っかけているのかも知れません。・・・ん?・・・制約された小さな枠の中で思い切った行動が嘲笑されがちだった銀行員時代の反動が、背中を押し続けている要因の1つではないかって?・・・・m9(^Д^)プギャー
今思えばオヤジは引き出しの多い人でした。
オヤジの引き出しは一体いくつあるんやろか?・・・子供時代にいつも思っていました。・・・〃お客さんの為に美味しいものを作って、そのお客さんから『美味しかったですよ』と言ってもらうのは料理人にとってありがたいし嬉しい。
だから父ちゃんは毎日喜んで有難く仕事をさせてもらっている。ある意味でお客さんと父ちゃんの有難うが、引き出しを毎日1づつ増やしていきよると・・・10才頃の私にオヤジが言った言葉です。
そしてオヤジが和食の世界でそこそこ名を知られていた事を知ったのは、私が30才も半ばを過ぎた頃でした。
オヤジのプロフェッショナルな話を紹介する前に、晩年のオヤジのことをを少しだけ記させていただきます。
料理人を引退した親父がとった行動とは?
60才を前に、癌に侵され『もうよかぁ』といって、現役を引退した後のオヤジが面白い行動を起こします。67才で次の人生修行をしに雲の上に旅立つまでの7年間の出来事です。
オレは世間と言うもんを知らん。ん・でもって、これからやりたいことがあるから挑戦する。警察官になりたい!
エッエエ~ッ。びっくりしている皆を尻目にサッサと警察署に出かけ、そして断られます。ならばと警備会社へ出向き、採用を取り付け意気揚々帰ってきたみたいです。
数日後、誇らしげに警備会社の制服と帽子を被り、手には白い手袋をはめ、姿見の鏡の前で何度も何度も敬礼を繰り返していたらしい。・・・お袋の話。・・・結局は警察官の制服が着たかっただけなのかぁ。
2年後に私が帰省した時は、またびっくりさせられましたよ。オヤジの顔が見えないので、お袋に『父ちゃんは?』と訊ねたら、『パチンコ屋にいっとる』って言うから趣味のパチンコでもしてるんかと思っていました。・・・が違っていました。
パチンコ屋には違いないが、実はパチンコの景品交換所の中に居りました。いつもお世話になっている景品交換の仕事がしたかったらしい。・・・お袋の話によると、お金の数え方が下手なので、よく間違えてかなり自腹を切っていたみたいです。
もう笑うしかないんですが、オヤジは結構真面目にやってたみたいです。景品交換をしている人って間違えたら、自腹切って補填するって初めてこの時知りました。
好奇心の持ち合わせ方は私と同じなんですね。って言うより私がオヤジに似ているのです。そしてやりたいと思うとその行動パターンも似ているような気がしないでもありません。・・・あー変になりそう・・・でも感謝しています。
内藤の防滑ノウハウは、すべてお客様の無理難題から生まれた
私の滑り止めのプロとしてのキャリアは、まだ15年。オヤジや世間の職人さんに比べりゃ、まだまだヒヨコみたいなものです。15年の間に生み出した技(わざ)の数もさほど多くありません。
技・・・業とも書きますが、誰かに教わったってことも無いし、私自らが向上心をもって自らの発想で誕生したものは、何1つもありません。現在私の中にある技らしきものは、全てお客様のニーズ(無理難題)から後押しされ生まれたようなものです。
2年保証を謳い文句に施工をすれば、1ヶ月も経たないうちに滑り出し、メンテナンスの重要性を認識させられます。業者にお願いするメンテナンスから業者を指導するためのメンテナンスマニュアルの制作を必然と考えたのは、まだ13年前のことなんです。
付着している汚れのイロハに始まり、適正な洗剤の選択、洗剤の希釈調整(PH)、洗い方から流し方までを現場毎にマニュアル化しました。・・・とは言え自信をもって指導できるレベルになるまで、3ヶ月もの時間を要しましたよ。
『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』・・私は多くの方々に質問を投げかけ、そして多くを学び、現場で実践し、1つ1つ引き出しに収めてきました。全ては自分を守るために・・・。
苦労した御影石本磨きの滑り止め
本磨きの御影石にも苦労しました。お客様は”神様”ですから、場合によっては我々の思いも依らぬ事を投げかけてきます。
色や光沢をそのまま維持し、最低5年程度は防滑効果があるようにしてほしい。
・・・綾小路きみ麻呂的表現をすれば、犬や猫も逃げていく様な無茶苦茶な要請です。平成10年頃って、それが可能な溶剤も無ければ技術もありません・・・。
アメリカの溶剤を、薄めては塗って、薄めては塗ってと何回も繰り返し実験してみましたが全て失敗。・・塗った後の時間が問題なのか>・・ここまでは誰しもが考えること。私も例にもれずやり続けました。
その結果数枚は其れなりにカッコはついたものの、多くの平米数となると無理です。・・ん・で自分で考えてみることにしました。もちろん以前にも書きましたが、アメリカの了解を得てのチャレンジですが、無謀な挑戦でもありました。
- 石とタイルの共通点
- 組成、吸水性が起こすシリカ反応の変化
- 土、釉薬、焼成温度による組成の変化
- 石産出国の地域環境の特性
云々・・・
調査と実験の繰り返しで、いつの間にか気が付けば石やタイルに囲まれての生活になっていました。
滑り止め溶剤の基本は2通り
数ヶ月経ち・・そしてついに見つけました。攻略の糸口を見つけました。・・〃毒は毒をもって制す〃・・数え切れない程の溶剤を作りましたが、基本は2通りしかありません。花崗岩、タイル系と大理石系(石灰系)です。
2つの基本系の中に数千数万の種類があるだけなんです。其々の基本系に対応する基本溶剤と、種類毎に反応調整をさせるものがあればいいんです。・・・塗布量の調整は必要となるが、これで溶剤を薄めたり、時間を気にしたりする必要はなくなりました。
今日においてはセーフティグループのメンバーは自由自在?自分で溶剤調整をしながら対応していると確信していますが・・・・?
防滑のプロフェッショナルへの困難はつづく
お客様の過酷な要請が私の成長の糧となりましたが、温泉の現場では共に悩みました。
例の非解離成分の問題です。温泉成分のメタケイ酸・メタホウ酸・メタアヒ酸なるものに滑り止めの行く手を阻まれました。今度は”水”のテーマで足踏みです。この3種の成分の総数量が分析量の13%を超えると、滑り止めの溶剤が反応しないのです。
塩酸の35%を落としても泡ひとつ出ません。さて、どうしたものか?・・・友人を介して多くの学者さんの意見見解をいただき、何とか克服したものの数ヶ月の時間を要しました。・・・この頃から私も少しプロ意識を持ち始めたのかな。
滑り止めの現場で遭遇する出来事の1つ1つが知らない世界のものばかりだったのです。臭いの問題・スケール・エフロ・錆び・カビ・バクテリア・化学床材の滑り対策・コーティング剤のイロハ・・・次から次へとお客様から依頼されるテーマは湧いて出るが如く目白押しです。
まぁ、いろんな人に助けられながら、失敗を重ねながら1つ1つ、其れなりに克服してきましたが、滑り止めが専門なのに、滑り止めを活かすために必要な知識がこれほど多く存在するとは努々思ってもみませんでしたよ。
講習で感じること
最近、講習・研修と人前で話をする機会が多くなりました。基本的には、毎回テーマを決めずにQ&A方式を主体に喋るようにしていますが、5・6時間がアッと言う間に過ぎてしまいます。
講習を受ける皆さんは、基本的には滑り止め施工ができる人達が多いようですが、皆さんは自分がまだ”アマチュア”である事を認識されています。本人も施工ができれば一人前の"プロ”と勘違いをし、お客様も"プロ”と判断される昨今、故に失敗、トラブルが多発するのです。
オヤジの世界で例えるなら、まだ見習いのレベルでしかないのです。お客様が見習いの小僧が作っている料理屋だと知ったら店には行かないだろうし、仮に食べても旨いとは言ってくれません。時折、天才肌の若手が登場しますが、その天才も現場では数多くの訓練を重ねているのです。
改めて親父のことば
私も老いて来て、現役時代のオヤジの言葉で記憶に残っているのは少なくなってきましたが、1つ書いてみます。
お客様の"旨い”にも色々あるとバイ。
甘くても・苦くても・辛くても旨いものは旨い。
焼き加減・塩加減でも旨いは変わるし、使っている皿鉢に至るまでが旨いに繋がるとよ。型にはまるこたぁなかぁ。
自分が納得できる仕事をするとがプロ。
お客さんを満足させられるのがプロたい。
じゃけん野菜作っちょるとこの土1つから料理は関係すっと。
母の実家が漁師だったので、爺ちゃんから剣先イカの刺身に海水を使うとイカの切り身が透明になることを、私が生まれる頃に教わった話とか、春夏秋冬の皿鉢を地元の唐津・有田の出入りの業者と相談したり、炭や水、塩、調味料に至るまでこだわり続けた50年にも及ぶオヤジの引き出しは如何ほどあったのか。
ヒヨコの私には思いも付かない。
私の親父も料理人でした。
村1つを無農薬地域にしたり、陶芸までして器を料理に合わせたりと…
今は、水利権や治水問題や環境問題で、淀川水系流域委員会に論文書いたりと、忙しくしています。
何をするにも、真剣に勉強するんですよね。
行動スピードも、私の数十倍は速いです。
勉強する事の経費のかけ方は、よく似ています(^-^;
「子は親の背中を見て育つ」じゃないでしょうか?