滑り止め施工における基準(数字)と官能のバランス
私は右脳派らしいが・・・??
年明けに何やら怪しげなチェックシートがデスクに置いてありました。何や?と思いつつ覗き込むと〃アナタは左脳派?右脳派?〃ナンテ書いてあります。おそらくインターネットから引っ張り出してきたんでしょうナ。・・『また誰が俺をおちょくっとるナ』・・なんて思いながらも遊んでやることにしました。
質問は15ありまして、基本的には思慮することなく即座に思った事を回答するよう指示されていました。約1分で記入完了。・・・さて結果は・・・〃アナタは70%以上の確率で右脳派〃と診断されました。
私は脳学者でもないし興味もないから〃フーン〃で終わったんですが、社内では〃やっぱりね。〃ってんで笑っている人もいる始末。・・・『こんなもん学者が傾向値で勝手に判断しとるもんやしね。』と私は一蹴。・・・そやけどチト気にならん事はないのやけど・・・。
右脳派の滑り止め施工
思えば十数年、手がけた溶剤は数十種類とありますが、すべて理論は後付けです。そやから右脳派と言われるのでしょうかね。
なぜ理論が後付になるのか一例をあげてみましょうか。・・いま事務所に磨きのケベックカルニコとビヤンコカララが其々5枚置いてあります。年明けに東京の前田が送ってきたもので、2つとも大理石です。某所の再開発に敷設予定とのことで、彼は今週2つの溶剤調合の勉強を目的に弊社にやってきます。
大理石だから大理石の専用溶剤でやればいいじゃん。ってな事をおっしゃる方もいらっしゃいますが、理論を原則化する?こう言う方はまぎれもなく左脳派の方だと思います。滑りを止めるだけならそれもありだと思いますが、仕上がり状態を重視される昨今、求められるレベルに仕上げるためにはケベック・ビヤンコ其々の性質に適した溶剤を作る必要があります。
滑り止め溶剤の適合は感覚的なもの
それじゃ右脳派らしき内藤さんはどうするの?って事になりますから少しだけ紹介します。
まず持ち込まれた2つの大理石が何者であるのか(どんな反応を示すか)知ることが優先しますので、頭の中に溜め込んである他の大理石のデーターを引っ張り出すことから始めます。
表面状態のよく似た他の大理石の溶剤を取り敢えず作ります。そして作った溶剤を基本ベースに、各々の大理石の反応が適正になるまでナンヤカヤ手を加え、調合を繰り返します。そして私が適正と判断するのは感覚的なものであって、数字的に表現される、又は数字を求めるものではないのです。求めているのは安全なのです。
ちゃんと安全レベルに仕上げるのですがね。困惑するのは感覚に乏しいバリバリの左脳派の面々が小難しいことを言うてくるんですよ・・・。
理化学的測定値と体感覚(官能)の融合
滑り感覚を数字で表現することが常識化されつつある昨今、相変わらず苦言を呈し続ける私ですが、全面的に否定している訳ではありません。
食品業界や化粧品業界等の試験場にあるような理論上の柔軟さが欠けているのです。私の言うところの柔軟さ?について私なりの考えを少し述べてみたいと思います。
食品と化粧品の官能パネラー
食品業界や化粧品業界等には、官能パネラー(試験官)と言うスペシャリストが重要な役割を担っており、その信頼性は高い。しかしながら食味官能と言うのは本来、感覚的なものであるからパネラー個々人の差が発生することは歪めない。しかも食品の保存状態や加工調理手法などにも影響を受けるので、画一的な評価は困難とされています。
化粧品業界パネラーの信頼性は、食味パネラーと比較すると高いレベルに位置すると私は考えます。その理由として色合い(色合せ)や匂い(好臭気)、ユーザー年齢なるものは感覚的な部分も含め画一化しやすいからです。例えば五感の中でも見る(見た目の感覚)と食べる(旨み、食感等)等は個々人の好みと言うのが反映されるので画一化出来ないのです。
両業界は画一化できない問題を抱えつつも、官能パネラーの役割を重要と認識するのは何故でしょう?それは彼等の研ぎ澄まされた感性・感覚を信じ、信頼するからです。もちろん理化学的検査も信頼の一環として、取り込まれていることは言うまでもありません。
滑り止め業界における官能パネラーの重要性
滑り止めの業界において我々は正真正銘、官能パネラーなのです。滑り感覚は食味検査で言うところの食感・旨みの感覚と同じです。理化学的に判断できないのです。理化学的な要素があるとすれば、床材の摩擦感、人ならばメカノレセプターと言ったところでしょうか。メカノレセプターと言うのは高齢になればなるほど影響が出るものです。
滑り感覚の要素は多種多様です。摩擦感は環境の変化で常に変化するものです。濡れる、油脂が乗るなどの条件が付加されると、摩擦が加速条件に変わるケースも多々あるのです。故に摩擦を測定し数値が高いから安全ではないのですよ。滑りにくいのが安全なのです。ここのところがチ~トややこしいんですよね。
そこで、滑り官能パネラーとしてのウンチクを・・・。
摩擦測定値の過信が転倒事故を起こしている
摩擦測定値が高いほど安全と言う認識は決して間違いではないのですが、過信が事故に繋がっている事例が多い事実を否定することはできないのです。
一定の基準を満たさないから・・・?アスベストの判例
今朝たまたまNHKのニュースでアスベストの裁判のことを報じてました。〃国2度目も敗訴〃と大きく報道されていました。
内容は、ある港湾でアスベスト処理を担当していた職員さんが癌を発症し、数年前に死亡した。癌発生要因がアスベストによるものと判明したので、労災の申請をしたが国が認めず裁判へと発展。一審において裁判所は原告の申しだてを認め、国は敗訴。国は二審の高等裁においても同じく敗訴した。
要はなぜ裁判となり、何故国は敗訴したのかってことです。
実は、国はアスベストによる癌発症において、体内に吸収されたアスベストの量に一定の基準を設定しているのです。アスベストによる癌発症であることを確信していながら労災が認められず、無念の思いを職員は奥様に託し亡くなったのです。職員が奥様に託した言葉・・・『白黒つけてくれ』・・・
国が上訴し最高裁まで発展することになるかもしれませんが、おそらく負けるでしょう。また敗訴し無能?をさらけ出すことになるのでしょうね。・・・裁判所の判断は・・・『アスベストの影響をうけ癌発症するものに、数字(基準)を適用するのは適正ではない。』・・・納得です。
数字が高かろうが低かろうが、発症するものはする。もっともな判決であります。
滑り止めにおける基準(数字)の役割とは?
滑り転倒事故裁判においても、ほぼ同様な判例が多いのはまさにそう言うことなんです。
基本的に基準(数字)は目安であって、決定事項とすべきではないのです。危険防止・災害防止等やむを得ず決定されるものは、法律により管理されるものだけで良いのです。当然遵守しなければいけないし、罰則規定はそのために設置されているのです。
予測・予防を基に目安的数字を用いることは、ある意味必要かつ重要であると思います。そのために何をするのかが問われる部分です。細かい事はさて置き、一つだけ例を挙げれば・・・私が子供の頃の天気予報はハズレが多くて漁師だった祖父の予報がはるかに確率が高かったんです。
滑りも最後は人にしか判断できない
今どうです?気象衛星のおかげで殆んどハズレなし。誰もが信じきっていますよね。昔人間で田舎育ちに私にとって、文明の発達発展には感謝あるのみです。
・・・でもね。衛星作ったのは人です。データを管理しているのも人です。データは秒・分単位でチェックされ更にデーター化されます。方向性・予測は、データと人の経験が一体化し生まれます。データだけでは判断できないって言うか、判断するのは人しかできないことなんです。
人の生命・人の感覚(官能)は、人工的には作成できないのです。そして文明も人によって進化してきたのです。鶏が先か卵が先かなんてレベルの話ではないのです。人の感性(官能感覚)があらゆる物を作ってきたのです。
なんやかんや・・・ややこしくなって来よりましたナ。・・・要は数字は参考として、人の感覚・官能を優先すべきってことを言いたかったのやけど、最近年のせいで言葉が浮かんでけぇーへんのですワ。・・・そこらヨロチク・・・(^-^;
おはようございます!
いやー実に面白い!!!
『感覚的』っていうのが深いですね。
安全を提供する側の感覚・・・
正直感覚を養うには、適正な考えの持ち主の元で勉強し場数を踏まなければ養えないと思います。何年かかるやろ・・・
防滑を採用する側の感覚・・・
未熟な私が考える滑り止めに対する、解釈は 適正=官能?・感応?
体感だと思います。
文面にもありますが、数字というのは単なるデータに過ぎないと・・・
両者の感覚が一致して初めて、本当の安全というものが提供できるのではないかと思います。
にしても・・・感覚という言葉を弟子に伝えるのは難しいですね・・・
感覚に長けている人は好奇心旺盛の人が多いように思いますね。
んー深い。いつもいつも勉強になります。日々勉強!勉強!
このテーマの続きが気になります・・・
早く書いて下さいね。笑
待ってます!お疲れ様です!
こんにちわ!
未熟な若者です。。。
私は世の中に出回っている滑りに関するピアレビュー(査読)に疑問を感じます。
それをそのまま引用し、安全とは・・・とユーザー様に提供している方々にも違和感を感じております。
安全というテーマに、被害者が増加するのは何故???
提供者いわゆる防滑アドバイザーの勉強不足ですよね?
仮に安全対策として防滑をした現場を、官能パネラーがインスペクションした場合、合格する現場は2~3割にも満たないような・・・
あとの8割程度が、官能ではなく補足の数字によって判断された現場ではないでしょうか?
数字はあくまでもデータであって、判断するにあたっての補足ですよね。
一旦フィードバックしてみると、大昔の方々はデータ等ない世界で人がそれぞれ触れ・感じ、判断したものって今なお受け継がれていますよね・・・
数字=簡素化
官能=複雑
滑りの問題は、複雑なため答えを数字では表現しにくいと思います。
考えも基礎って大事ですねー。。。
内藤様の考え・文章はその基礎の大事さが伝わります。
長々すいません。
左脳派?右脳は?シリーズ次回も楽しみにしています。
藤村君へ
この十数年をかえりみると、微速ではあるが我々の活動の成果が浸透している感はあります。計測は必然ですが優先すべき事ではなく確信し判断するのはあくまでも人なのです。責任能力の観点から言えば係数値・測定値って言うのはどう足掻いても参考にしかなりません。裁判における争点はここに集中する事を施設管理者はもっと理解しなくてはなりません。官能部分に大きく左右され、理化学的に白黒つけられないのが滑りの世界です。数字主導で危機管理体制を整備しても、いざ有事の際は、我々を含むいわゆる有識者の判断が最終的な結論となります。これから先裁判沙汰の多発が予測されますが、もっと痛い目に合わないと皆さん理解しないのでしょうかね。
方向性・予測はデータと人の経験が一体化し生まれます。データだけでは判断出来ないって言うか判断するのは人しか出来ない事なんです。は、本当にそう思いますね。
世の中には、金属疲労の打音検査をしているのに、経験豊な計測員による官能テストを拒否する理由がわかりません。
0か1かの判断の様に短絡的思考と、責任逃れで採用しない…
法的整備していくと、過熱してくるんでしょうね。