SUBERANAI BLOG すべらないブログ

銭湯・・・大好きです

大衆浴場大好き実行委員会より

私は銭湯が大好きです。月に1〜2回は銭湯に足を運びます。少年時代(10歳くらいまで)は銭湯に行くのが日課でした。家に風呂がなかったんですよ。

あの時代は、それが普通の生活慣習だったんです。円形の浴槽を弟と一緒に、一方方向にグルグル回ると大きな渦が出来ます。その渦に二人で浮かんでよく遊んだものです。同級生ともよく顔を合わせました。

オッチャン達の世間話に耳を傾けたり、顔馴染みのオッチャン達に声かけられ話をしたり、今流に言うと老若関係なしのコミュニケーション場であったのです。裸の付き合いってやつですよ。

親子連れって言うのも普通で、親子の最高のコミュニケーションの場でもあったんですね。・・・特に湯上りの後に飲んだヨーグルトとラムネは旨かったなぁ。

家に石炭炊きの木樽の風呂が出来てからは、銭湯との縁も薄れていきました。たまに石炭がきれてたりした時に、銭湯に行くんですが、懐かしい顔が『オッ久しぶりやなぁ』なんて声かけてきます。なんかしら、嬉しかったですね。

私が釣りキチになった原点もここにあります。どこで何を釣ったとか、いま魚市場岸でアジがよく釣れているとか、夢多き情報が飛び交うのです。俺も釣ってみたいって思ったんですね。・・・それから40年、まだシッカリとハマッテています。

最近、スーパー銭湯にも時折は行ってますが、私的には俗に大衆浴場と呼ばれる銭湯が好きです。今は余り見かけませんが、浴場の壁には何処へ行っても、モザイクタイルで富士山が描かれていましたね。

家の風呂で大人になった親子が一緒に入れますか?ウチの親父が生きていたら、銭湯に連れて行って背中を流してやりたいと思う事もあります。昔、幾度かやらされましたが、そのたび親父の顔には、いつも満面の笑みがありました。

不景気で世知が無い時代です。せめて大きな浴槽でゆっくりと湯につかり、爽快な気分で一日を終えたい・・・なんチャッテネ。

健康ランドブーム

結婚し、仕事も忙しくなっ来た頃には、すっかり銭湯のことは昔の思い出となっていました。

1980年代に入ってくると、レジャー産業の一環として、健康ランドがブーム的に広がりを見せ始めたように記憶しています。今流のスーパー銭湯の先駆けです。

従来の銭湯に比べ、浴場面積と浴槽が随分と大きくなりました。中には浴槽を幾つも増設し、ジャクジーなるものが登場してきたのもこの頃からですね。イタリアからアメリカに移民したジャク-ジ兄弟が1968年に開発したもので、わが国で訛ってジャクジーと呼ばれるようになったんです。

私の銭湯大好き復活もこの頃からです。ジャクジーに次いで打たせ湯なんて言うのが登場し、どうしてもこれを経験したかったんです。・・・昔は銭湯に自ら遊ぶ場をつくって楽しんでいました。今は銭湯そのものが、楽しめる場所を作ってくれています。

サウナを初めて経験したのもこの頃です。頭がのぼせ上がってフラフラ。友人にサウナの後は水風呂に入るのがサウナの入り方だと教わり、恐る恐るつま先からそ~と入ってみましたが、脳みその先までジジーンときて、死ぬかもしれんと思い、直ぐ飛び出す始末。以降サウナの後は温めのシャワーにして、命を保っています。

スーパー銭湯時代

1990年代に入るとスーパー銭湯の登場となります。しかも天然温泉を売りにしています。街中で温泉に入れる?なんとも有難い時代になったものです。まぁ少々入浴料金が高くっても、何チュー事はありません。わざわざ温泉場に出かける事を考えれば、コストははるかに安いし、十分に楽しめます。

さて、こうなると私の支持する従来型の銭湯も黙っちゃいません。温泉を入れるは、サウナは増設するは、ジャグジーは作るはで・・・・生き残りを賭け、小型のスーパー銭湯化を目指しています。頑張れ!町に根付いた昔っからのお風呂屋さん。

ちなみに弊社の滑り止め施工の第1号は、町のお風呂屋さんです。以降、試行錯誤を重ねながら多くの現場に携わってきました。今も相変わらずにお付き合いさせて頂いております町のお風呂屋さんにエールを送り、今回の締めとします。

フレー・フレー町のお風呂屋さん!!

この記事を書いた人

内藤 憲道

内藤 憲道

多種多様の床材や状態に合わせて滑り止め溶剤を調剤し、美観をまったく損なわずに滑り止め効果をつくる防滑のエキスパート。溶剤系滑り止めでは、業界の第一人者。全国で活躍する防滑業者の多くは、内藤の理論がベースになっているとかいないとか。メンテナンス業界では防滑に限らず床材のドクター(研究者)として知られ、大手ゼネコン、タイルメーカーはもちろん、同業者から現場相談を受けるなど、(一部では)圧倒的な信頼を得ている。

  1. SONODA より:

    思い出1・2共にこちらまで懐かしく思えてきて
    気持ちがほんわかしています。
    私は銭湯時代ではなかったですが、まだ五右衛門風呂でした。
    撒きで湧かすので少し離れたところにあったので、冬などは寒く
    大変でした。あと、風呂釜が熱いので板に上手に乗って入ってました(^^)/。
    いやぁ~懐かしい!。
    今やスーパー銭湯の時代!、「スリップアウトで快適な入浴を!」ですな。。。

  2. おぐら より:

    ご無沙汰してます(。・ω・)ノ゙ コンチャ♪
    内藤代理、お元気ですか?

    • 内藤 憲道 内藤 憲道 より:

      小椋さんへ
      お久しぶりです。最後に会ったのは4年前だったっけナ??・・元気にしてますか?・・月日が流れるのは早いもので・・ピカピカの1年生の小椋さんと堀さんを部下に置き、教育指導した時代が懐かしくよみがえってきます。あれから25年も経ったんやね。銀行時代の話はこのブログでも時折引用したりしますが、今、改めて振り返ってみると、俺って結構面白かったかもナ。来年60才になるのに、天下御免のスタイルは今も健在??いい加減にしないといかんのですが、死ぬまでこの性分は直らんのでしょうナ。(笑)・・小椋さんには退屈なブログかも知れませんが、たまには、この面白いオッサンにコメント送ってきてください。・・・ありがとう。

      • おぐら より:

        昨年、投稿させてもらったっきり半年が経ってしまいました(#^.^#)
        自宅にパソコンが無い私は、仕事中(!!)手が空いた時に・・・と思いつつ、その時が訪れる機会が無いまま今日に至りました。
        ご家族の皆さんも、お元気にしておられますか?
        両親が病気になって、改めて家族の大切さを噛み締めています。
        自分の親不孝を後悔してもしきれません。

        18歳で最初に影響を受けた上司が内藤代理だったせいで?銀行を辞めた後も、仕事に対する姿勢が周りの人とはちょっと違ってると実感させられる日々です。「男だったらよかったのに・・・」何度この言葉を聞かされたことか(T_T)今では、周りから「会社の男性の誰よりも男らしい」と言われるようになってしまいました(T_T)
        仕事に男も女も無い、年上も年下も無いというやり方で突っ走ってきて、そろそろ落ち着かなあかんなぁとは思うのですが、何でもとことんやらないと気がすまない、まずその仕事を好きにならないと始められないという性格は、なかなか変えられそうにありません(/_;)
        今の仕事を始めてからも、ただ、お客さんが楽になるようにということだけを考えてやってきましたが、会社の経費削減や利益を上げることしか頭に無い上層部の考えに、もうついて行けそうにありません。一時的に経費が減っても顧客が逃げてしまっては元も子も無いのに・・・。
        やってもやっても報われない環境の中、仕事に追われ両親の世話もままならず・・・。
        どこか、こんな私を雇ってくれそうな会社は無いでしょうか?
        心理的収入・経済的収入、そのどちらも無い状況では心が折れそうです。
        地震があって、しばらくは転職を諦めようと思ってましたが、こんな時だからこそ動いた方がいいんじゃないかという気もして。

        気付いたら愚痴になってましたね、ごめんなさい。
        内藤代理は、変わらずエキサイトな毎日を送ってください。
        それが私たちの心の励みになりますから\(^o^)/

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